
鹿児島県教育会館とは
竣工時「本県教育に凜として輝く大殿堂竣工」と称され、旧鹿児島県立図書館、鹿児島市中央公民館、山形屋百貨店と共に「鹿児島市内4 大ビル」と呼ばれていたなど、教育界の誇りであったと言われている。正面は張り出しなどなく平面的、窓ピッチは縦横とも均一、階段室である両翼の窓は段違いになっている。モダニズムとは一線を画す、板を重ねたようなシンプルな装飾。セセッション派の影響は、鹿児島県の建築技師の三上昇、県が東京から設計担当として呼び寄せた 畑村源次郎、そして大阪の施工者である森本組の森本千吉の3 者のなし得たシゴトだと言われている。
現在は、鹿児島県教育會館維持財団によって管理され、鹿児島県教職員組合・鹿児島県高等学校教職員組合・鹿児島県学校生協・鹿児島県教育用品株式会社・ 教職員共済生活協同組合鹿児島事業所・鹿児島県境職員共助会に貸与すると共に、大小会議室・ホール などを備え、様々な会議や集会に活用されている。
教育会館の問題
教育文化会館は教育会館の機能が移転してくるため登録有形文化財を抹消し解体、新たな教育会館を現在の教育文化会館の敷地に新築する予定です。駐車台数が60〜80台必要となるため、教育文化研究所の一部を残して新築することは困難となっています。教育文化研究所と教育会館は、共に鹿児島県教育会館維持財団が所有、管理を行ってきましたが、教育文化研究所の維持費が負担となっており、また、教育会館は戦前のRC造で機能的・耐震的に問題があるので、今回の連鎖建替えの方針が決定されたと聞いています。鹿児島県教育会館維持財団の運営も厳しい状況で、これまで教育会館の耐震診断は行われていません。財団は、教育会館の機能が新築した教育文化研究所敷地内に移転後、教育会館の敷地を建物付で売却する予定と聞いています。現在の教育会館の売却先が、建物の再利用をしなければ、教育文化研究所と教育会館の2つの歴史的建造物が、失われる可能性があります。
教育文化会館を救うためのいくつかの施策
この2つの歴史的建造物を存続できる方法はないものだろうか?
所有者の鹿児島県教育会館維持財団では、教育会館の移転先を探したが見つからず、やむおえず、教育文化研究所の敷地への移転を決断されており、苦渋の選択だったと思われます。上町の景観を考える会では、諦めきれず、何か方策がないものか議論や情報収集を続けています。
いくつかの方法が考えられますが、意見交換等で出た方策について以下のようなものがあります。他にもよい方策があると思われますので、是非、よいお考えが有りましたら、ご意見をいただけないでしょうか。
1.教育会館の移転先を探し、その敷地に教育会館の機能を移す。教育会館の利用者は、大隅半島や島嶼から徒歩で来館するため公共交
通がある地域であることが必要。移転先は、更地でもよいし利用されていない既存施設でも可能かもしれない。もし移転先が見つか
らない場合、耐震補強等によりリノベーションして継続利用も検討できないものか。
2.教育文化会館の敷地を市民の募金や市の予算で購入し、市民が利用する公開施設として活用する。塀が景観重要建造物になってお
り、建物本体も登録有形文化財であることから国の補助金が得られないか、何か、良い知恵はないものでしょうか。景観、文化財、
公園等々の何らかの助成が得られればよいのですが。
3.市が建物を譲り受け、借地料を鹿児島県教育会館維持財団に払い、市民の利用施設として運用する。運用はPFI事業等も考えてもよい
かもしれません。
経 緯
1929 年(昭和4年)6 月 1 日 設計着手
1930 年(昭和5年)3 月 7 日 森本千吉 落札
1931 年(昭和6年)4 月 工事終了
1931 年(昭和6年)7 月21日 引継ぎ
1931 年(昭和6年) 竣工
1945 年(昭和20年) 空襲により戦災
1951 年(昭和26年) 復旧
1995 年(平成7年) 外装塗装、一部内装改装
鹿児島県教育会館
所在地:鹿児島県鹿児島市山下町4番18号
竣 工:1931年(昭和6年)
構 造:鉄筋コンクリート造
地下1階、地上3階建て
設 計:鹿児島県土木課
三上昇、畑村源次郎(専任主任技師)
施 工:森本組(森本千吉)
建築面積:169 坪751
延床面積:693 坪93
地階 51坪38 ・1 階 169坪751 ・2 階 159坪24
3 階 145坪 ・屋上 18坪29
所有者:鹿児島県教育会館維持財団
